以下のページは、Mainichi Communications Inc.が発行しておりました「ウィンドウズ・インターネット第3号」に掲載された内容を、同誌のオンライン版より転載させていただいております。
「ウィンドウズ・インターネット」誌は、現在休刊となっており、オンライン版も、毎日コミュニケーションズのホームページ上からも削除されております。
このページは、福冨忠和氏の本文と井手県議のアンケートの回答を掲載いたしました。
ご意見、ご質問等はWeb管理者の井手までよろしくお願いいたします。 |
【特別企画】
ネットワークデモクラシー!?
インターネットは政治を変えるか?
1997/11 ウィンドウズ・インターネット第3号 文:福冨忠和氏
「ネットワークデモクラシー」とか「電子民主主義」という言葉をよく聞く。しかし、その意味するところはかなりあいまいだ。いろいろ探ってみてわかってきたのは、その定義にも、大きく以下の3つくらいの方向性があることだ。
1)これまでの政治活動や選挙活動に、インターネットやパソコン通信を利用すること。これによって対話を重視した、しかも低い費用での選挙活動ができる。
2)インターネットやパソコン通信によって、投票などが簡単にできる。不在者投票や住民投票の情報公開の可能性が開け、従来とは違う直接民主主義を政治システムに取り入れることができる。
3)サイバースペース上の新しいコミュニティをベースにした、全く新しい共同体システムのこと。あるいは、国家とは独立したサイバースペース上の政治形態。
「戦後政治の終焉」とか「民主主義の閉塞」といった言葉ではじまる暗いトーンの記事と、「インターネット」に関する希望ばかりの記事が毎日一緒にマスメディアをにぎわしている。その2つが単純に結びついて、「ネットワークデモクラシー」というアイディアが出てきたのかも知れない。しかし、どの方向にせよ、簡単に実現しないことだけは確実みたいだ。
たとえば、この間の衆議院議員選挙ーーー。
サイバースペースの公職選挙法
政党や議員がホームページを開いたり、電子メールを活用している、という話題は今ではあまり珍しくなくなった。新党さきがけ時代の簗瀬進氏(現・民主党)をはじめ、パソコン通信の時代から、電子ネットワークを自らの政治活動に生かすことにいち早く挑んできた議員も少なくない。
とはいえ、いくらインターネットが騒がれていても、日本国内のインターネット、パソコン通信を含めたネットワーカーの人数は人口の数%にすぎない。郵政省が95年に行った調査でも、自宅でパソコンを使用している人のうち、わずかに2.6%がこうしたオンラインサービスのためにパソコンを利用していると答えた。まだまだ世間の関心は低い(それでも利用率の延びは急激で、今年2月と8月、20歳以上の1000人を対象に行った郵政省の「電気通信サービスに関するモニター調査」によると、インターネットを知っている人は2月の81%から8月には90%に、使ったことがある人は20%から34%に増えている)。
議員や政党のホームページ開設率も伸びてはいるが、思ったほど多くはない、というのが正直な印象だ。Nifty Serveネットワークデモクラシーフォーラムのホームページや、長尾正さんによる衆議院選挙立候補者のリンク集で調べた限りでは、議員全体のごくわずかがホームページを開設しているにすぎない(別表参照)。活用している議員からも「インターネットやパソコン通信を使っている人達がほんの一部に過ぎない現状では、こうした取り組みが話題性で先行していると言った感も拭えない。実用のための試行錯誤の状況と思う」(秋田市議 淡路定明氏)という声や、「参議院ならともかく地方議員ではこれを選挙には使えない」(群馬県議 山本龍氏)という意見もある。しかし「まだまだ利用者が絶対数少ないから、機会の均等にならないとの意見もあるが、自由に利用できるようにすべき」(東京都品川区議 辻幸雄氏)という気分は趨勢だろう。
国政レベルでは、新党さきがけのようにいち早くインターネットを活用したことは、マスコミ向けの話題としてインパクトがあった。同党は政治資金規制法に絡んで、政府の公表方法(閲覧のみで複写できない、など)に市民から批判が出ていた政党助成金の使途等報告書を、自党分のみホームページで公開するなど、ダイレクトなコミュニケーションとしてのインターネットの特質を見抜いた活用方法で秀でていた。
さきがけや市民リーグ(当時)によるインターネット活用がマスコミの話題になると、自治省は候補者紹介などのページが公選法に抵触する恐れがあるとの見解をメディアで公表した(96年3月末)。しかし同じ自治省から「政治活動への利用は選挙期間中でも問題ない」という見解も示され、「選挙活動」と「政治活動」の線引きについて疑問を残した。その後もインターネットに対して、自治省は確固とした見解を示すことができないまま、今回の衆議院選挙を迎えることになった。
新たに結党された民主党は、議員としてはネットワーク先駆者である先の簗瀬氏らも合流して、鳩山党首はじめインターネットを活用した新しい政治形態の模索と政策の実現をアピールした。新党さきがけも、9月末の選挙公示直前に「インターネットと公職選挙法」に関する質問を自治省に提出することを公表し、質問内容をホームページで募集。ここでは公職選挙法によって、選挙期間中に政党や候補者が利用できる文書・図画(ビラ・ポスター・掲示板など)について、その仕様や枚数、利用可能な期間などについて細かく規定されていることへの疑義を論じ、同時に「カネのかからない、公平な選挙」のためにインターネット活用が有効だと考えられるにもかかわらず、同法にそれに対する明確な規定がないことを問題視した。ちなみに、さきがけホームページの制作・維持はすべて党内で処理しているため、費用はサーバ利用料の月3000円とダイアルアップ接続時の市内電話料金程度とのこと。
10月2日に同党が自治省に提出した質問書は、政治への活用のみならず、インターネットに関する現在の多くの問題が集約されたものとなった。
ホームページは文書・図画か?
質問書は、インターネットのホームページについて、極めて低廉な費用で開設・維持できる。電子的記憶としてサーバ上に保持されるものだから通常の「文書図画」とは異なる。相手方からアクセスして利用するものだから、候補者等の側が積極的に「頒布」または「掲示」するものではない。とした上で、
・公職選挙法上規制されている他の選挙運動手段(ビラ・ポスター等)が、金のかからない選挙の実現のため決められているという理念から、ホームページは規制されるべきではない
・電子データは「文書図画」とは言えないのではないか
・「文書図画」に当たるとしても「頒布」または「掲示」とは言えないのではないかなどの項目が盛り込まれている。また「海外のサーバに、公職選挙法に抵触するホームページの素材をおくこと」「電子メールによる投票依頼」「インターネットを通じて演説会を中継すること」などの、公選法の境界例ともいえる質問も加えられている。
インターネットによる新しいメディア形態が広がったことで、旧来の法文では定義できない事態が生まれてしまった。「至急、インターネット、パソコン通信が活用できるように公職選挙法の改正をすべきである」(品川区議 辻氏)といわれる反面、公職選挙法や刑法を改正するためには、当然長期にわたる慎重な議論が必要だ。では、警察や自治省の官僚たちはその間どう対応するのか。
結果を言えば、自治省は何もしなかった。つまり、現在までのところ「質問書」には返答していない。(10月17日現在) しかし、自治省がなんの返答をしなくても、10月、衆議院選挙は公示され、各党、各議員のホームページは、なんらかの対応が必要となった。
政党のホームページのほとんどは、公示前から議員に関するデータ中に立候補予定など、公選法に触れそうな内容を扱っていなかったので、選挙期間に突入して、更新はされていないが、休止もしていない。民主党のように、メールで寄せられた有権者からの政策などに関する質問を、そのままホームページに掲載し、これに対する回答を情報ボランティアらの手で次々と掲示する、という積極的な動きを見せている党もある。
96年の1月開設以来、WWWアクセス(ヒット)件数は9月だけで18万件という実績だった自由民主党のホームページも、「解散前は公認候補者一覧を『議員会館』に設置いたしておりましたが、9月27日から休止させていただいております」(広報局)とのこと。理由は「自治省の見解が不明瞭な部分等があり、内部で検討した結果自主的に休止」したという。また今回の選挙以外でも「図画等の掲載に触れる恐れがあるので、プロフィール部分の削除」(品川区議 辻氏)を行ったケースもある。
各候補者のホームページの対応もまちまち。新進党・松沢しげふみ氏のホームページでは「公選法との関係が不明確なままでしたので、公示後の更新は一切自粛」(松沢氏WWWサイト担当)し、公選法の選挙運動に関わる内容は、公示前も含めて一切掲示していないという。このように内容を更新しないで、そのまま公開している候補が多い。「公示前の街頭ポスターのようにホームページ公開を取りやめるべきかとの議論については、本屋の店頭に並ぶ松沢の著書と同様の考え方で、やめる必要はない」(松沢)という「合法論」が多いが、一部には「公職選挙法の規定により」と断って、ホームページを休止させている議員のサイトもある(小杉隆氏ホームページなど)。
果たして、どの対応が正しいのか、この原稿を書いている投票前の段階ではわからないのだ。正直なところ選挙後の警察の公選法違反摘発を待ってみるしかない(笑)。しかし、警察も自治省も、初の小選挙区制による選挙の対応で大わらわで、それどころではないという噂も聞く。
自由が大原則
候補者サイドでは「インターネットやパソコン通信は、テレビや新聞・雑誌などと同様の一メディアで」「民主政治には、有権者と政治家の対話が重要であることを考えれば、その一手段としてこれらのメディアを活用するのは当然」という思いはありながらも、「しかしながら、公選法の問題一つにしても、その利用法が十分に議論された訳ではなく、利用には慎重であるべきである」(松沢氏)という対応が、今のところ正しいのかもしれない。
茨城県議の井手よしひろ氏は「公職選挙法とインターネット情報についての私見」(1996年4月発表)のなかで、「自治省は、明確なガイドラインを示す必要がある」と断じる一方、諸外国での政治におけるインターネットの状況を以下のように解説する。
「わが国で禁止されているインターネットを利用した選挙運動は、海外主要国では原則自由で規制は見られない。
アメリカでは、11月の大統領選に向け各陣営が盛んにホームページを利用。『史上初のインターネット選挙』といわれるほどの過熱ぶりだ。
イギリスでは、野党の自民党がマルチメディア利用に最も熱心であり、パディ・アッシュダウン党首自身が、市民との電子メール交信に励んでいるといわれている。
ドイツも、3月の州議会選挙で選挙運動に利用され、各政党がホームページを開設している。同じく、3月に総選挙があったオーストラリアでは各党がホームページで火花を散らした。このように、インターネットを利用した選挙運動は、何の規制も加えない、自由が大原則なのである。
私は、日本でもこの原則を定着させるべきだと主張する。
従来の選挙運動に利用できる『文書図画』、つまりポスターやハガキ、ビラ、選挙広報は、その情報を必要としない人にも送りつけられる可能性がある。テレビやラジオ、新聞等のマスコミも同じ性質がある。こうしたメディアは、公選法での規制の枠がはめられてもいたしかたないと感じる。
しかし、インターネットというメディアは、その情報を得る人は積極的、能動的アクションを起こして、初めてその情報が得られるわけである。インターネット上の情報は、ほしい人が、ほしい時にアクセスしてくるのである。こうした、インターネットの本質を無視した、規制論には大きな矛盾を感じるのである。
日本でもホームページ上の活発な政策論争を期待するものである。
たしかに、米国などの状況を見ると、利用率も、その質にもかなりの差を感じないではない。昨年通信改革法案の審議をめぐって、そのなかでインターネットの規制に関わる通信品位条項(法)が問題となっていたときは、国会議員全体でもメールアドレスを持っている人間は、わずかに20人近くだった。通信品位法のもととなった議員立法を提出した2人の議員(エクソン、ゴートン)ともに、メールアドレスはおろかパソコンすら使っていないという説もあり、その彼らがインターネットの内容規制を主張することへの批判が耐えなかった。保守派の筆頭といわれるニュート・ギングリッジ下院議長も、自らがネットワーカーであるために、この法案に反対票を投じていた。
しかし、約1年が経過して、状況は大きく変わった。ホワイトハウスや各省がネットワーク上で選挙関連のアピールを行うことは禁じられれているものの、党、支援団体、個人、そのほかの市民団体など、多くのホームページが選挙キャンペーンを繰り広げ、ホームページ上での寄付金の公募も行われている。中絶問題、プライバシー法案、税制など、シングルイッシュー(テーマ別に組織された)のNPOサイトも、多くがホームページやメーリングリストで政策論争を繰り広げている。また世論調査や模擬投票、人気投票なども盛んで、支持者や候補者によるオンラインのディべートなども繰り広げられている。
「無責任な垂れ流し型の情報操作に対する措置、倫理規範の確立が不可欠」(辻氏)という憂慮もあるが、日中の住宅地にやかましい騒音を振りまいて候補者名の連呼を繰り返す選挙カーや、お茶の間に乱入する政党のテレビCFに比べたら、静かで、必要な人にのみ情報を届ける、極めてフェアかつクリーンなものだ。井手氏が主張するように「ほしい人が、ほしい時にアクセスしてくる」というインターネットの本質を無視した規制論には矛盾を感じざるを得ない。
「電子ネットワーク投票」へ
コンピュータとネットワークの機能が、閉塞した戦後民主主義のオルタナティブ(代替策)を提供する、と考える人たちもいる。電子メールなどを活用した電子投票制度などについては、かなり前から議論としては語られてきたが、実際のところ、認証(本人をどうやって本人と断定するか)やネットワークセキュリティなど課題が多く、技術的に簡単には実現しないだろう。しかし、この多忙な現代社会の中で、たった一日しかない投票日に、住民票が提出されている区域の、特定の投票所に行かなくては投票できないシステム、というのもいかにも古い。片方で、投票率の低下を嘆く人がおり、別のところでは、納税義務があるのに選挙権も被選挙権もないことに不満を感じる在日外国人たちがいる。どこかバランスがおかしい気がする。
そういう意味で、「電子投票」の実現は、海外に在住する国民や外出もままならない人々、多くの選挙マイノリティの声を、政治に反映させていく可能性があるのではないか。「有権者の本人確認、投票内容の秘密保持などの技術的問題と、選挙区をどこにするかなどの問題がクリアされれば導入するべきだと思う」(参議院議員 林芳正氏)という意見は多いし、「電子投票が最初に利用されるとしたならば、外国在住者の投票であると思う。電子マネーの技術を応用した本人確認のシステムが一般化すれば、いち早く実用化されると思う」(茨城県議 井手よしひろ氏)という具体的なイメージが政治家の中にもある。「しかし、公職選挙法の改正などの環境整備の方が時間がかかるかもしれない」(井手氏)という別の課題が横たわっている。
自分が選挙によって選んだはずの政治家たちが、必要なときに力にはなってくれるとは限らない、という不信感も募ってきているのかもしれない。阪神大震災時の国政の無策を見たあたりから顕在化してきた傾向だろう。
たとえば、11月上旬、「日本国外に住むことによって日本の国政選挙に投票できないのは、憲法に保障された国民の基本的権利の侵害である」、「こうした状態を放置している日本政府は怠慢であり、国政選挙に投票できないことによって生じた損害を賠償するべきである」として、米国、豪州、フィリピン、タイ、フランス、ブラジルにある日本人の市民団体が、日本政府を相手どって損害賠償を請求する裁判を東京地方裁判所に起こすことになった。原告は世界各地に在住しているため、原告団の訴訟打ち合わせはすべてインターネットを通じて行われ、裁判経過をホームページに掲載し、在外投票制度の実現を求めるキャンペーンを同時展開していく予定だという。裁判史上では初めて「サイバー原告団」が結成され、実際に提訴を行うことになるのだ(原告団のホームページはhttp://www.ics.com.au/kyn/KYNL1.htmまたはhttp://www.users.interport.net/~hiro/Nuts/)。
また、Nifty ServeのFNETDの会員で中心に行われている「模擬首相選挙」のようなものを挙げてもいい。「首相は憲法67条(内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。)により、国民の投票によっては決められません。しかし、任意に首相にすべき人を投票することは公選法上も問題はなく、可能です。ネットにより模擬の首相選挙を行い、首相公選制に意義があるのか実験するものです」と書かれたこの模擬選挙の「目的」の文には、現在の間接選挙によって選ばれた一国の首相を、国民が信任も不信任もすることができない、というもどかしさが現れている。この模擬選挙は電子メールによって行われ、実際の衆議院選挙投票日当日に開票されるという。
また先のサイバー原告団を構成する海外有権者ネットワークも、国際通信会社の協力により、電話による「在米日本人の総選挙模擬投票」を行う。これは衆議院選挙投票日前日までフリーダイアルを公開し、米国在住の有権者たちに、声による模擬選挙に投票してもらうというものだ。投票の結果は、在米の日系メディアなどに公表される。
違法と適法のグレー領域
こうした市民による直接民主制志向は、2つの住民投票で火がついた。地方自治や、地方住民の意思が、国政レベルの判断を覆す可能性が、はじめて見えてきた。実際にいくつかの自治体で「住民投票条例」が採択されつつある。「沖縄県民投票」は、県民に不本意な結果となったかもしれないが、地域住民と国政の利害対立を浮き彫りにし、日米安全保障条約をめぐる大きな議論を呼ぶことになった。
2つの住民投票は公職選挙法の規定を受けないこともあって、インターネットやパソコン通信上での議論や、さまざまな形での情報提供が活発に行われた。また、開票当日は、どちらの投票でも、地元新聞や市民団体によるホームページ上でのリアルタイムの開票速報が流れ、ここからさらに、パソコン通信のフォーラムや、インターネットのメーリングリストに情報が転載された。結果として、多くのオンラインユーザーは、マスメディアよりもかなり早く、この投票の結果を入手することになった。
しかし、こうした国会政治色の薄い住民ベースの動きはともあれ、政党などによるサイバースペース上の活動は、もちろん先の公選法などの法律の規定を受けるし、また、かなりの数のパソコン通信事業者や、いくつかのインターネットプロバイダなどが、こうした政治活動や宗教活動を、約款上禁止したり、規制したりしている。
さきがけの質問状にもあったように、選挙にからむ「人気投票」を公表することは違法であるし、「世論調査」でも、選挙期間中に特定メディア以外が公表することは違法とされる。「特定のメディア」とは、放送法などで規定されている放送局や、第三種郵便物に認可されているような商業的な新聞や雑誌を指している。ここには、奇妙なことに多くの政党機関紙風の媒体、たとえば「赤旗」などもふくまれる。逆に、普通の有権者が、世論調査を行い、それを自分のメディアで公開することは原則としてできないことになる。「厳密には新聞社などが紙面に掲載した世論調査の結果を、ホームーページ上で公開することも、グレー領域に属してしまうはず」というのは、NiftyServeネットワークデモクラシーフォーラムのSys-opの藤原純衛さん、「しかし、実際には新聞社のホームページにそういったものが掲載されていますね」。
10月15日には、インターネットを用いた模擬投票実験が、警察と自治省から公職選挙法違反になるとの見解を得た。これは「電子投票を行う場合に生じるさまざまな技術的問題点をはっきりさせるための実験」で、スタート以来、15日までに三百数十件の「投票」があったというが、公選法にいう「人気投票の公表」にあたるのだという(時事通信伝)。
逆に、市民新党にいがたのホームページのリンクを、新潟インターネットサービスセンターが、「宗教並びに政治活動に関するリンクはご遠慮させていただきます」という基準によってはずした、ということもあった。
つまり、政治団体はコストのかからないインターネットを自由に使えず、ユーザーも政治的内容についてインターネットでは扱えない、という奇妙な状態が、現状なのだ。これらは、誰が、一体何のために課している規定なのか。
サイバースペースは草の根民主主義
インターネットは米国国防総省の核戦略用ネットワーク研究のため、大学などに委託された学術研究ネットワーク(ARPAネット、NSFネット)にUSENET、FIDONETなどの草の根的なネットワーキングの動きが統合して生まれた。1992年インターネットソサエティ(ISOC)が国際機関として生まれて以来、関連の組織(IAB、IETFなど)含めて、国家とは独立した枠組みの中で統括されてきた。また、パソコン通信の起源となったものが、米国西海岸の市民運動の中から生まれてきたことも知られている。パソコンとそれにつながる電子ネットワークが形作る世界ーーサイバースペースは、そもそも市民の草の根的な動向との親和性が高い。実際、サイバースペースでは政党や議員のホームページを探すよりも、ずっと簡単に非常に沢山のボランティア、NPO、NGO、市民運動などのサイトを見つけることができる。
電子ネットワークが、疲弊した官僚政治をボトムアップで変えられると考えられる。いちはやく「ネットワークデモクラシー」という言葉を使い始めた先のNifty Serveネットワークデモクラシーフォーラムの設立趣意書(95年7月27日)にも、つぎのように書かれ、秋葉忠利、岩屋毅 、小坂憲治、堂本暁子、簗瀬進、山口俊一といった議員たち(当時)が発会に名を連ねている。
「コンピュータネットワークの普及は、膨大な有権者の意思の即時集約を可能とするため、有権者の直接民主制への志向を確実に高める。(中略)このようなパソコン通信やインターネットが確実にもたらす『ネットワーク社会』に対応した民主主義の望ましいあり方を検討し、必要な提言を行っていくのが当会の目的である」。
しかし、実際の道のりはまだまだ遠い。「選挙期間中のフォーラムは政党関係者やボランティアの方達の発言自粛やメンバー自身の自主規制から、盛り上がりの欠けるモノになってしまった。選挙期間中こそ情報交換が必要なのに。過度な自主規制をしなくて良いようにキチンとしたガイドラインが欲しい」と藤原氏。それは「情報公開、情報の共有化の点から評価すべき」(辻氏)であって、選挙公報メディアとして規制すべきではないのだ。
国外まで目を向ければ、インターネットの国家的な規制は、世界に広がる傾向にあり、多くの市民運動家たちは、電子民主主義の到来を待ち望むよりも、官僚政治とまず闘うことを余儀なくされている。
米国の通信品位法の施行に対してサイバースペース上でのさまざまな抗議運動や、フィラデルフィア連邦裁での集団訴訟で中心的な役割を担ったのは、VTW(Voter Telecommunications Watch:有権者による通信監視)、ACLU(全米市民自由連合)、ラルフ・ネーダーグループ、EFF(電子フロンティア財団)などの、NPOや草の根的な市民団体だった。彼らの多くは以前から、通信政策に関する監視活動や、情報公開、著作権、プライバシーといった分野で活動してきた。
日本では、NPO法が選挙前に棚上げされ、さまざまなオンブズマン活動での努力によっても情報公開はなかなか進まない。選挙公示直前の10月8日には、長尾立子法相は刑事法制の見直しを制審議会に諮問し、この中で来年の通常国会への法案提出を目指して、電話やインターネットなどの通信傍受を認める法制審の答申を得る意向だという。アセアン諸国でも規制が進行している。
いま、「ネットワークデモクラシー」という理念と希望の周辺で、ぎくしゃくと音を立てているのは、市民社会に根付きはじめた新しいテクノロジーと、古いビューロクラシー(官僚主義)とがぶつかりあっているためなのだと思う。
近代市民社会が生まれ、民主主義が育まれるに至るには、サロンやコーヒーハウスといった、誰もが公けに語ること(公論)を許可されたスペースと、新聞などのジャーナリズムが必要だった。さまざまな主張と批判と意見が、新聞上や公の場(パブリック・スフェア)で交わされることが、不可欠の条件だったという。
現在のサイバースペースは、ちょうどそんな近代市民社会のはじまりに似ている。であるなら、サイバースペースは誰もが自由に語れる街角のコーヒーハウスであるべきなのだ。「いつでも、どこでも社会的身分や性別、年齢を越えて、対等に意見を交換できる積極的能動的市民参加型の民主主義制度」(辻氏)はそこで初めて実現できる。誰もが自由に主張や批判を行うことができること。もしそれがなければ、ネットワークデモクラシーの実現もありえない。
井手よしひろのアンケートの回答文
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