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 Copyright Yoshihiro IDE (e-mail:y_ide@jsdi.or.jp)  最終更新日:1999/Jan/15




 東京湾に集中する首都圏の物流再編、北関東地域の経済発展を目的に整備を進めている、茨城県ひたちなか市と東海村にまたがる広大な人工港湾・ 常陸那珂港 。その北埠頭内貿地区に平成10年12月21日、第一船が入港。公明党の井手よしひろ県議をはじめ、石井啓一衆院議員、鈴木孝治県議、山口慎吾、山本繁の両ひたちなか市議、根本鉄四郎東海村議が同港を視察しました。

 常陸那珂港は1989年に建設に着手。北関東の海の玄関口として期待を集める一方で、深刻な不況が続く“逆境”の中だけに、予定の取扱貨物量(目標は年間2600百万トン)を確保することができるかなど課題もある。

 『北関東自動車道との連携が最大のメリット』

 『巨大コンテナの接岸に対応』

 ひたちなか市と東海村の一市一村にまたがり、海岸線約5.5キロメートル、面積約1182ヘクタールに及ぶ広大な用地・ひたちなか地区。同地区には先月21日、中核施設となる 常陸那珂港の北埠頭の内貿地区が供用開始され、国営ひたちなか海浜公園も1991年にオープンするなど北関東の海の玄関口として生まれ変わろうとしています。

 防波堤や埠頭などの整備が進む 常陸那珂港 は、一極集中が進む首都圏の物流を効率化することを目的に1989年に建設が開始され、北埠頭、中央埠頭、南埠頭の三地区(総面積695ヘクタール)で構成される。3つの埠頭が完成する2010年には、年間2600万トンの取扱貨物量を目標としている。主な取扱品目は機械類、農水産品、化学製品、鉄鋼、石炭など。

 同港では、巨大コンテナ船の接岸に対応するため、中央埠頭や北埠頭には、水深12メートル〜15メートルの大型バース(船舶係留用岸壁)を整備する。これによって「オーバーパナマックス型」と呼ばれる5〜6万トン級の巨大コンテナが接岸できるようになる。

 また埠頭には、船からの積み降ろしなどの際、コンテナをつり上げる、高さ約60メートルの専用クレーン(ガントリークレーン)が据えられ、1時間当たり50個近くのコンテナをさばいて、コスト削減を図ることになっています。

 荷役作業は民間の港湾運送業者が行うが、ターミナル施設は第三セクターの常陸那珂埠頭株式会社が行い、共同利用することで業者の重複投資を減らして港湾使用料の低料金化を図る。荷役作業は24時間・365日のフルタイムサービス体制を確保する。

 『目標の取扱貨物量を確保できるかなど課題』

 『地元住民主体の街づくりを』

 このひたちなか地区は歴史の波にほんろうされ続けてきた地域です。

 1938年(昭和13年)、旧日本陸軍が飛行場と飛行学校の建設を決め、県有地・民有地を買収しました。「買収とはいえ契約の時には憲兵が横にいて、ほとんど強制収用だった」と当時を知る人は語ります。

 1939年(昭和14年)には、水戸陸軍飛行学校が開設し、敗戦で旧陸軍は解体したが、1946年(昭和21年)には飛行学校用地を米軍が接収し、米空軍の対地射爆撃場に転用されました。

 射爆撃場では演習が繰り返され、誤射、誤爆などの事故がたび重なった。特に1956年(昭和31年)には、超低空で飛んできた米軍機の車輪が自転車に乗った親子と接触、母親が死亡し、子どもも重症を負う「ゴードン事件」が発生しました。住民の間からは、「パイロットが故意に狙ったのではないか」との疑惑が広がり、演習の即時中止と射爆撃場の返還運動が一気に高まりました。

 茨城県も1961年(昭和36年)に返還推進本部を設置、国会への陳情活動も本格化させました。

 こうした返還運動に対し、米軍はようやく1971年(昭和46年)に射爆撃行為を中止。1973年(昭和48年)、現地で米軍と日本政府代表が返還文書に署名し、27ぶりに日本に返還されたのでした。

 その後、国有地となった同地の跡地利用について国と茨城県、地元自治体の協議が行われ、1981年(昭和56年)に港湾、公園、火力発電所を核とした、ひたちなか地区開発事業がスタートしました。

 現在、同地区内には、350ヘクタールに及ぶ国営ひたち海浜公園が1991年(平成3年)に部分開園し、アミューズメント施設や遊戯施設の整備のほか、植栽、わき水の保全などを行って県民に開放しています。

 一方で、国有地の開発に対する県民の関心は薄いことから、開発そのものが地元住民から遊離したものになることも危ぐされてます。

 『埠頭建設などにかかる地元負担金もぼう大に』

 『年末には国外航路の埠頭も』

  常陸那珂港 では1999年(平成11年)年4月から、最初の定期航路として、大阪(泉大津)と北海道(苫小牧)を結ぶ船が、週6回同港へ寄港を開始することになっています。 さらに1999年(平成11年)年末には国外航路用の北埠頭外貿地区が供用開始し、国際港湾として開港予定となっています。

 また、同港の最大の利点として強調されるのが、1998年(平成10年)4月に全線着工が決まった、北関東自動車道との連携です。北関東自動車道が完成すると、高速道が港の中に乗り入れることになります。

 北関東自動車道は常陸那珂港を起点に、茨城県水戸市、栃木県宇都宮市、群馬県高崎市など三県の主要都市を結ぶ総延長約150キロの高速道路となります。茨城県友部町で常磐自動車道とリンクし、東北自動車道、関越自動車道とも接合する予定です。

 港湾施設は新たな段階を迎えましたが、課題も多い。現在の景気低迷によって荷動きも鈍化していて、「本当に荷を確保できるのか」という不安です。貨物をストックする倉庫の建設工事は2001年以降になるため、当面は大きな物流の変化はないとの指摘もあります。

 さらに、今後の港湾建設に伴う地元負担金も頭の痛い問題です。同港建設に関するひたちなか市と東海村の負担総額は約215億円で、最終的にはひたちなか市が75%の162億円、東海村が25%の53億円を負担することになっています。

 景気後退の中で、 常陸那珂港 は順調に船出するのか。 荷主や物流業者への積極的なアピールはもとより、コスト削減などの経営努力をいかに県がバックアップできるかが、カギを握っています。  


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