2002 FIFA WORLD CUP 日本開催でかわったもの
ワールドカップと君が代・日の丸
2002年6月14日 日立市池の川体育館で開催された日本対チュニジア戦パブリックビューイング
EOS D-30 で撮影。PhotoShopで解像度を変更し、色調を調整しました。
6月14日、4年来の要望が実現して、サッカーワールドカップのパブリックビューイングが日立市で開催された。
会場の池の川体育館は、開始2時間以上前から若者が集まり、入場を制限するほどの盛況だった。
試合結果は、2対0で日本が圧勝し、ベスト16入りを決めた。感動を超えて震えがきたといっても過言ではなかった。
その結果と共に、もう一つ大きな驚きに出会った。
それは、開始前の対戦する両国国歌の演奏の際に起きた。君が代が演奏されると、それまで騒然としていた会場に、大合唱が始まった。十代二十代の若者がアリーナ席の大半を占めている、厳粛な雰囲気とは全く違った、雄叫びのような絶叫調の君が代であった。
体育館では、たくさんの日の丸が舞った。顔に日の丸のペイントをした若い女性もいっぱいいた。
若者たちにとって、君が代や日の丸の意味は、W杯を契機に大きく変わってきたような気がする。
君が代は、直立不動で一点を見て斉唱するものではなく、力一杯こぶしをあげて歌うニッポン選手への応援歌なのだ。国旗は、直立不動で仰ぎ見るものではなく、日本を応援するシンボルであり、最大の武器であった。
そこには、国家主義や排他主義的な要素は感じられない。世界の中の日本がという意識が自然に身に付いていた。全くオープンで気持ちがよい。
そういえば、W杯の開会式では、ソウルのワールドカップ競技場の鮮やかな緑の芝の上に「日の丸」と韓国の「太極旗」が並んで揺れた。韓国国歌に続き演奏された「君が代」に、韓国人サポータが敬意を表して立ち上がった。日本と韓国の複雑な国民感情に、新しい時代の風が吹き始めた。
君が代と日の丸を語るとき、W杯は大きな歴史の節目になるのかもしれない。
日の丸のペインティングを施した高校生サポーター(池の川体育館で)
この試合、スタジアムは日の丸であふれかえった