原研東海火災事故ロゴ上
原研東海火災事故ロゴ下

 Copyright Yoshihiro IDE (e-mail:y_ide@jsdi.or.jp)  最終更新日:1997/Nev/26


原研東海研究所で火災事故

東海村地図
原研東海研究所航空写真

管理区域内で出火、原因は自然発火?

 茨城県那珂郡東海村の日本原子力研究所東海研究所で、11月20日午前1時15分ごろ、ウラン濃縮研究棟の火災報知器が火災を感知し発報した。

 放射性物質を扱う管理区域の原子蒸気実験室内で、低レベル放射性廃棄物を捨てるカートンボックス(紙製のごみ箱)20個やパソコン等の備品が焼ける火災事故となった。火災は室内のみで職員の被ばくや周辺への放射能の影響はなかった。

 同研究所によると、午前1時15分に原子蒸気実験室の火災響報が発報、続いて同20分には吹き抜けとなっている2階の天井の警報が鳴った。警報を聞き付けた守衛所員が研究棟の玄関(2階)に駆けつけると、ガラス越しに、吹き抜け部分から立ち上がる煙が見えた。

火災現場1 東海村消防署員3人と原研職員1人が入室し、バケツ4杯分の砂で消火活動、村消防本部の鎮火確認後、さらに消防署員と職員が入り、砂と水で消火を行った。

 室内は約85平方mで、中央には濃縮実験を行う大型の真空容器、壁際に実験で発生した酸化したウランのくず(粒状)を収めるステンレス容器(直径、深さとも約20cm、二重構造)が11個3段積みにされていた。そこより30cmほどの距離に酸化ウランの粉末などを吹き取つた布や紙を収める可燃性のカートンボックスが20個並べられていた。

 最初に消化に駆けつけた職員によると、「20個のカートンボックスはすべて焼け、そばにあったコンピューターのモニターが溶け、壁にはすすが付いた状態」となっていた。また、前日に酸化ウランのくず4kgを収めたステンレス容器のふたが飛び、内ふたは変形、黒色のウランくずが見える状態だったという。

 原子蒸気実験室は、金属ウランにレーザー光を当て、蒸発させ濃縮する実験を1984年度から実施。今回の実験は前年度いっぱいで終了、今年度は濃縮作業を行っていた真空容器からウランを取り出し除染、来年度は真空容器を解体撤去する予定だった。

 今回の作業は、濃縮後の金属ウランを一次酸化(真空容器内に空気を入れ、酸化させ燃えにくい状態にする)作業を1週間程度行い、11月11、12、14、19の4日間で真空容器内の酸化ウラン塊(131.7kg)と酸化ウランくずの取り出し作業を実施。事故当日の20日は隣室の核燃料保管庫に収める予定だった。19日収めた酸化ウランくずは、ふたの飛んだ一缶のみ。

火災現場2 原因について同研究所は、ステンレス缶に収めた酸化ウランくずが十分に酸化されておらず、金属ウランの性質をのこしたまま、徐々に酸化が進み発火し、カートンボックスに燃え移った可能性が高いが、カートンボックス内の布や紙類に付着した金属ウランの酸化の可能性もあり調査中である。

 同研究所は、可燃性のカートンボックスと発火可能性のあるステンレス容器を同一の場所に置いた管理について「保管するのであれば、保管庫に入れなくてはならないが、ウランくずなどはこれから性質や重さを調査する途中であり、原子炉等規制法に基ずく『保管』ではなく、仮置きに当たる」と説明している。

 ウラン濃縮棟では、1989年5月、核燃料保管庫でポリエチレン容器に収めていたウランが発熱、白煙を上げるという同種の事故があり、容器をステンレス製に改めている。

 火災後、同研究所が汚染レベルを調べたところ、カートンボックスのあった床は通常の100倍近い1平方cm当たり87ベクレルのウラン汚染があり、空気中ではウラン摂取濃度限度(50ミリシーベルト)の50倍。隣々室のプロセス基礎実験室でも床から1平方cm当たり4.4ベクレルの汚染が確認された。しかし、同棟の煙突からの放出放射能や研究所周辺のモニタリングポストには異常値はなく、外部に放射線の漏れは確認されていない。

写真は原研の提供によるポラロイド写真をスキャニングしたものです。クリックすると詳細画像にリンクしています。

原研のホームページにも現場写真が公開されています。  


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