Copyright 井手よしひろ (e-mail:y_ide@jsdi.or.jp) 最終更新日:97/07/24
4月7日昼過ぎから行方不明になっていた日立市久慈町在住の親子4人が、日立市留町の久慈川に架かる留橋から車ごと水中に落下しているのが発見された。
日立警察署の調べによると、死亡した親子4人は、7日長男の入学式に参加した。帰宅後、川向かいの東海村に買い物に出かけ、夕方5時20分ごろ、東海駅前のホームセンターで買い物を済ませた。
当時、雨が激しく降っていたにもかかわらず、親子は渋滞をさけるため留め橋を通行して帰宅しようとした模様。午後6時頃東海方面から日立方面に通行し、あと30メートルで対岸に着く付近で運転を誤り、水中に落ちた。車は、反転し屋根を下にして水中に没していた。
現場は、久慈川の最下流に位置し、日立市と東海村の境界となっている。河口に近い久慈大橋と榊橋の間に位置する。周辺の川幅は110メートル、推進は2メートルあった。
留橋は、日立市が管理する木製の橋で、増水の際は通行止めとなる、いわゆる「もぐり橋」である。地元の人は、事故の多いこの橋を「地獄橋」とも呼び、渋滞の抜け道や農作業ではなくてはならない橋であるが、その危険性を指摘していた。延長は117メートル、幅員は2.7メートルで、日立市と東海村が国から58.5メートルづつ占有許可を得て設置している。両側に15センチ程度の車止めはあるが、欄干等の安全設備は一切ない。これまでもたびたび転落事故が起きていた。
現在の構造になったのは1957年(S32年)。当初は、日立市側と東海村側の両方に農地を持つ農家の利便を図る農業用の橋であった。
しかし、現在は久慈大橋(国道245号)と榊橋(国道6号)の渋滞の抜け道として、自動車の通行量が増えていた。
留橋は、増水(洪水)時に川の流れを堰き止めて、氾濫させないため、流失する(壊れる)構造になっている。洪水時に流失することが占有の条件ともなっている。管理責任のある日立市では「本来は橋を造っては行けない場所に、住民の利便性のために橋を架けている、そのためにこうした構造になっていることはやむおえない」と説明している。
つまり、欄干を作ったり、橋の幅員を広げれば頑丈な橋となり、増水したときに壊れなくなるために、安全対策を講ずることが出来ない橋なのである。
10年以上前に、やはり死亡事故が起き、一時車両通行止めの処置を行ったが、地元の要望が強く、車両の通行を再会した経緯があった。最近では、1993年に中学生が自転車で通行中に転落して死亡。94年には、普通トラックが転落した事故が起こっている。
日立市は建設省常陸工事事務所などと協議し、当面の間、車両通行止めの措置をとった。
抜本的な安全対策が出来ない現状では、安全第一の政策が望まれるところであろう。
また、同地域には、県・日立市・東海村が県道日立東海線の建設計画を進めている。現在用地買収が進められているが、一刻も早い完成が待ち望まれる。こうした経緯もふまえ、井手県議は、4月11日、県土木部長宛に工事の早期完成を求める要望書を提出した。
夕日に映える事故現場の花が痛ましい
参考資料:1997/6/6 水没車からの脱出実験を行う
参考資料:1997/7/23 日立東海連絡橋が具体化
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