建設のきっかけとなった痛ましい転落事故 1997年4月7日、日立市久慈町在住の親子4人が、日立市留町の久慈川に架かる留橋から車ごと水中に落下し、全員死亡するという痛ましい事故が発生しました。
当時、雨が激しく降っていたにもかかわらず、親子は渋滞をさけるため留め橋を通行して帰宅しようとした模様。午後6時頃東海方面から日立方面に通行し、あと30メートルで対岸に着く付近で運転を誤り、水中に転落しました。
当時の留橋は、日立市が管理する木製の橋で、増水の際は通行止めとなる、いわゆる「もぐり橋」でした。地元の人は、事故の多いこの橋を「地獄橋」とも呼び、渋滞の抜け道や農作業ではなくてはならない橋ですが、その危険性を指摘していました。延長は117メートル、幅員は2.7メートルで、日立市と東海村が国から58.5メートルづつ占有許可を得て設置していました。両側に15センチ程度の車止めはあるが、欄干等の安全設備は一切ない橋でした。これまでもたびたび転落事故が繰り返されていました。1993年に中学生が自転車で通行中に転落して死亡。94年には、普通トラックが転落した事故が起こっていました。
留大橋の完成は、こうした事故を無くす住民の悲願でもありました。
「留大橋」との名称に地域住民の心が結晶 県道日立東海線の新橋の名称は「留大橋」と決定されました。
この名称は、新橋の500m下流にあった「留橋」の名称を継承して命名されたものです。
初代の「留橋」は、明治26年に架けられ、その歴史は久慈川下流域の橋の中ではもっとも古いものです。(榊橋は明治28年、竹瓦橋は明治31年に架けられました)
地元住民からは、この歴史ある名称を是非新橋の名称として後世に残すよう強い要望が寄せられ、井手よしひろ県議らも早くから、繰り返し県当局に働きかけを行ってきました。「留大橋」との名称に地域住民の心が結晶しました。